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2020/09/18 15:13
こんにちは!
穂高岳山荘公式オンラインショップです。
少しずつ秋の空気に変わってきましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
女子スタッフ2名が
『この山男イラスト、お土産物のデザインにしたら絶対に可愛いですよ!』
と、スタッフバッグのリニューアルの際に一押しだったこのイラストは、
山荘のフロントではいつも見かける「山男」。
山荘内のお弁当券やお土産物用紙袋に、かなり以前からデザインされているんです。
このレトロ山男のデザイン、モデルが存在します。
それは、穂高岳山荘の創設者、今田重太郎。
重太郎は奥飛騨・蒲田温泉の11人兄弟(男6人、女5人)の三男として生まれます。
19歳の時に山案内人(今でいう山岳ガイド)となり、
ある日穂高をガイド中に暴風雨に遭って命からがらビバークをしました。
「ここに山小屋があったら・・・」
そう思った重太郎は、周りの協力を得て、大正14年に「穂高小屋」、現在の穂高岳山荘を建てたのです。
重太郎の名前は、岳沢から前穂高岳へ向かう「重太郎新道」にも残っています。
重太郎が新しく作ったのは、数百メートル程度の区間です。
当時のルートは、大岩を左に巻く危険なルートだったのですが、事故が多発するためなんとかできないかとずっと考えていた重太郎。
何年もその場所を見に行っていましたが、なかなか良い方法が見つかりません。
終戦の頃、登山者がほとんどいなくなり、獣が多く現れるようになりました。
重太郎は、その獣のフンが落ちている、右巻きのルートに気づきました。
「獣が安全に通れるのであれば、多少整備をすれば、人間にも安全に通れる道となるに違いない」と、
妻と娘を連れて、新しい巻き道を作ることにしたのが、今の重太郎新道です。
その時に、当時5歳の娘、紀美子を遊ばせていたのが、前穂高岳山頂への分岐点である「紀美子平」です。
(紀美子は穂高岳山荘の跡継ぎとして期待されていましたが、その後23歳で病気により早逝してしまいました。)
そんな重太郎の写真がこちら。
「自分の力と時間をかければ、どんなことでもできる」、と言っていた重太郎。
昔の日本人としては体格も良く、空気の薄い穂高小屋でも人並み外れた仕事量をこなしていたそうです。
当時はヘリコプターも発電機もなく、すべてが人力の世界。
山小屋を作り、維持するのには大変な苦労があったと偲ばれます。
平成5年に94歳で亡くなった重太郎は、今も穂高岳を見守ってくれているのかもしれません。
そんな重太郎をイメージした山男のデザインがプリントされたのが、現在販売中の「スタッフバッグ」です。
以前からずっと山荘で使用されている「山男」イラストに、こちらも実際に80年代に使われていた山荘の英字ロゴに加え、レトロ調のフォントで「Mt.Okuhotaka」(奥穂高岳)、標高の「3190」をあしらいました。
巾着絞りなので、音もうるさくなく、登山中でも使いやすく、なんでも入ります!
大は16リットルと、ちょっとした行動ザック程度の容量があります。防寒着などを入れるのにも安心です。
小は9リットルで、こちらも服や行動食、貴重品など小分けに大変役立ちます。
生地はアウトドア用のオリジナル生地となっており、とても丈夫です。
撥水性もあるので、湿ってしまったタオルや着替えも入れておけます。(※完全防水ではありません)
山行中のザックの中の整理はもちろん、
山の下でも便利に使えること間違いなしです。
ぜひ、みなさんも使ってみてくださいね。
穂高岳山荘は、現在もコロナウィルス感染症対策として定員制限をしておりますが、
スタッフは元気に登山道整備や山荘営業を行っております。
9月も中旬を過ぎて、山荘周辺では朝方は6度まで冷え込んでいます。
草紅葉が色づき始め、今年の涸沢の紅葉はどうなるかな、と思う時期になっています。
なお、今年の穂高岳山荘の営業は、いつもより少し早く、10月24日に終了となりますので、ご注意くださいませ。
それではまた!
お読みいただきありがとうございました。